松江が「茶どころ」と称されるのは、松平家7代藩主松平治郷(不昧公)の功績が大きいといえます。茶道を家臣に定着させただけでなく、陶器や漆器、木工、茶菓子などの職人を地元で育成しました。
松江と他の茶どころとの大きな違いは、作法にこだわらずに薄茶を嗜む風習が定着していることです。1964(昭和39)年、雑誌編集者の花森安治は、旧制高校時代を過ごした松江を取材し、「暮しの手帖」第75号に「水の都 松江」を掲載しますが、その中で松江のお茶を次のように活写し、全国に発信しました。「この町では、お茶は、けいこ事でもなければ、見せかけの教養でもない。よその町で、番茶をのむように、さらさらと薄茶をたてて、のむ」。縁側で薄茶をたて、客は作法なしでそれを味わう。花森が愛したこんな昭和の光景こそ少なくなりましたが、現在の松江でも、お茶はまだまだ身近な存在です。
城下町松江の歴史や文化を伝える博物館。城下町の成り立ちや松江藩政の実像、城下の人々の暮らしなどを紹介している。松平治郷などによる藩政改革や、櫨蝋や人参といった産業振興についても分かりやすく解説する。
全館畳張りで、館内に伝利休茶室を復元。敷地内にある市指定文化財・松江藩家老朝日家長屋は、各種講座やイベントの会場としても活用している
◆住 所/松江市殿町279
◆開館時間/4月~9月 8:30~18:30、10月~3月 8:30~17:00
◆料 金/基本展示大人510円、小中学生250円
◆休館日/毎月第3木曜日(祝日の場合は翌日)
◆電話番号/0852-32-1607
塩見縄手に位置する茶道美術専門の美術館。松江藩の鉄師頭取・田部家に伝わる書画、陶磁・漆器などを展示している。雲州蔵帳にある茶道具など松平不昧のゆかりの品も数多い。将来の茶の湯の可能性を探る公募展「田部美術館大賞茶の湯の造形展」を主催しており、全国の作家の登竜門として注目を集めている。
◆住 所/松江市北堀町310-5
◆開館時間/9:00~17:00
◆料 金/大人600円、大学・高校生400円、中学生以下無料
◆休館日/月曜日(祝日の場合は開館)
◆電話番号/0852-26-2211
天守は全国で現存12天守のうちの1つで、国の重要文化財に指定されている。千鳥が羽根を広げたように見える入母屋破風の屋根が見事なことから、別名「千鳥城」とも呼ばれる。堀尾氏が1611年に完成させた後、京極、松平氏と歴代松江藩主たちの居城となった。
2001(平成13)年には、発掘や資料調査を基に、二の丸にあった3基の櫓が復元された。
◆住 所/松江市殿町1-5(公園管理事務所)
◆登閣時間/4月~9月 8:30~18:30、10月~3月 8:30~17:00
◆登閣料金/大人560円、小中学生、外国人280円
◆休館日/年中無休
◆電話番号/0852-21-4030
水との調和をテーマにした美術館。西側が全面ガラス張りのロビーから宍道湖の夕日が堪能でき、「日本の夕陽百選」にも選ばれている。モネやクールベなどの水をテーマにした絵画のほか、楽山焼、布志名焼をはじめ松平不昧ゆかりの品も収蔵している。
◆住 所/松江市袖師町1-5
◆開館時間/3月~9月 10:00~日没後30分、10月~2月 10:00~18:30
◆料 金/大人1150円、大学生700円、小中学生300円(企画展・コレクション展セット当日)
◆休館日/火曜日
◆電話番号/0852-55-4700
松江藩主松平家2代綱隆(1631~1675)の時代に、松江藩主松平家の別邸があった公園で、 鷹刈りの時に立ち寄ったといわれています。楽山とは『論語』の「仁者は山を楽しむ」に由来しています。現在は、野球場とテニスコートもあり、他の公園とは異なる雰囲気をもつ緑豊で風光明媚な公園として市民に親しまれています。
◆住 所/松江市西川津町
明々庵は、大名茶人として知られる松平不昧の指示で、松江城下の有澤邸に建てられたのが始まり。不昧自身も何度か茶席に臨んだという茶室は、茅葺きの入母屋造りで、随所に不昧の美意識が感じられる。明治維新後には、松平家が一時、引き取ったが、不昧没後150年記念事業として、1966(昭和41)年に現在地の松江市北堀町の赤山に移築された。 2012(平成24)年からは、山陰中央新報社が指定管理者として明々庵の管理を行っており、7人のスタッフが案内や呈茶を行っている。
◆住 所/松江市北堀町278
◆電話番号/0852-21-9863
菅田庵は、1792(寛政4)年に松平不昧の指示により、松江藩の家老であった有澤家の山荘内に建設された茶室。茅葺の入母屋造りで、内部は一畳台目中板入り。
菅田庵の隣接地には、不昧の弟である為楽庵雪川好みの茶室「向月亭(こうげつてい)」が立つ。山荘内の菅田庵、向月亭と御風呂屋(おふろや)は国の重要文化財の指定を受けている。
※菅田庵は現在、一般公開されていないため写真は掲載しません
松江藩の藩主を務めた松平家の菩提寺である月照寺。初代・直政が1664(寛文4)年に生母・月照院の霊牌を安置するために建立したのが始まりだ。約1万平方メートルの広大な境内の中には、松江を愛した明治の文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の随筆にも登場し、夜になると動き出すという伝説も残す巨大な亀の石像や7代藩主松平不昧(治郷)にゆかりのある茶室大円庵などがある。
別名「アジサイ寺」とも呼ばれる同寺には約3万本のアジサイが植えられており、6~7月には色鮮やかなアジサイやスイレン目当ての観光客でにぎわう。
◆住 所/松江市外中原町179
◆電話番号/0852-21-6056
堀川沿いにある天台宗・普門院は、堀尾吉晴が松江城の祈願所として現在の松江市寺町に建立。堀尾、京極両氏の後を受けて、松平氏の時代になった1676(延宝4)年に松江が大火に見舞われ、普門院も焼失してしまうが、三代綱近が現在の松江市北田町に再建し、現在に至っている。
普門院にある三斎流茶室「観月庵」は、老朽化と2000(平成12)年の鳥取西部地震の影響で、倒壊寸前だったが、市民が募金活動を展開した結果、修復が実現し、2010(平成22)年から一般公開が再開された。
◆住 所/松江市北田町27
◆電話番号/0852-21-1095
花森安治が「水の都 松江」で称賛したのが松江の和菓子です。松江は京都、金沢と並ぶ日本三大菓子どころで、花森は松平不昧以来の伝統を受け継ぐ「山川」「朝汐」「八雲小倉」「若草」といった銘菓を誌面で取り上げ、こう評しました。「料理屋のほとんどないこの町だが、菓子屋は多いし、いい菓子が多い。それでいて、どれひとつ、いやに気取った高いもののないのが、いかにもこの町らしく、これは誇っていいのである」半世紀近い昔、花森が取り上げたこれらの和菓子は、今も松江を代表する菓子として老舗が作り続け、人々に愛されているのです。
松平不昧が「曇るぞよ 雨降らぬうちに 摘みてむ 栂尾山の 春の若草」と詠み、命名した。若草は明治期まで途絶えたが、彩雲堂(松江市天神町)の初代・山口善右衛門が古老や茶人の言い伝えをもとに再現したと言われ、松江三大銘菓の一つに数えられている。製造方法は、釜で求肥粉(ぎゅうひこ)を練り、飴いろになったところで、木枠に流して固める。緑色が印象的な菓子だ。
菜の花畑を白い蝶が飛び交う様子を表現した和菓子。不昧が「寿々菜さく 野辺の朝風 そよ吹けは とひかう蝶の 袖そかすそふ」と詠み、「菜種の里」と命名したとされる。クチナシで色づけされた鮮やかな黄色い落雁(らくがん)に、炒った白い玄米が散らされている。昭和天皇皇后両陛下と、皇太子ご夫妻(現・天皇皇后両陛下)が松江を訪問された際に、御料菓子として献上されたこともある。
「長生殿」(石川県金沢市)や「越の雪」(新潟県長岡市)とともに日本三大銘菓の一つ。「散るは浮き 散らぬは沈む 紅葉の 影は高尾の 山川の水」の歌にちなみ、赤が紅葉の山、白が山川の水を表す。江戸から明治にかけて途絶えたが、明治中期、風流堂(松江市白潟本町)二代目の内藤隆平が復元した。